
実際の舞台の半分くらいかとは思うんですが、それでもどこまで表情がよく見えるのかと言ったところが改めてよくわかりました。
自分が口下手なのと、最近、「人間と人間って、いくら言葉を尽くし心を尽くして伝えようとしてもほとんど伝わらないぞ」ということを改めて思っておりますので、動画や写真を撮って検証してみたりしました。
自分は元々「守破離」派なので、アイデア(アドバイスとか指示とかオーダーとか色々な言い方がありますね)をもらったらとりあえずやってみて、食べて、飲み込んで、その上で何か足すとか、自分の持って来ていたプランと融合するとか、そういうことをします。インプロの基本、「YES and...」の原理ですね。
一度食べてみたものは、後々表面的に使わなくっても深みとして必ずプラスされます。
自分一人がいくらたくさん考えようとも、決して出てこない何かが人からしたら簡単にでるもので、それを快くもらえるというのはなんとおトクなことかと。どんどん利用すればいいんです。
盗んだって、押し付けられた通りにしたって、絶対誰かのコピーにはなりえない。それが役者って仕事の得なところでもあると思うのです。
少年よ、それは没個性ではない。恐れるな。
中年よ、聞き入れられなくなるのは加齢のせいだ。気をつけろ。
ときどき普段の会話で「いや、…」から始まる返しを多用してしまっていることに気がついたりすると、「いかんな。否定が増えるターンに入ってるな」と反省したりもします。
否定のターンに入ってると、他の人のことを本当の意味で見てあげられない感じに、目が曇ってくると思うのです。気をつけなくては。
なーんて芝居っぽい話になりましたが、これってゲートキーパーでいようと心に留めることともどこか繋がっていると思うのです。
心も、言葉も、誰とも伝わらないのです。本当には。100%は、絶対に伝わらないのです。なぜなら、物の見方が違うから。
いかに似たようなものの見方をする人がいたとしても、それは「違う」のです。
最近「クオリア」とかいう難しい言葉を調べたけど当たり前過ぎて意味がわからなかったんですが、まあそういうことですよね。
鴻上尚史さん的にいうなら、「ひとはわかりあえない」のです。
わかりあえないからといって、つながりあえないわけではないのです。
コンタクト(接触)することはできるのです。
君に触れて、痛いかもしれない。
でも、社会的生物として進化して来たからには、触れ合わなければ群れから駆逐されて淘汰されるほかなくなるのです。
だから群れから離れようとしている人、ちょっと外れちゃいそうになっている人に、群れの中から手を伸ばしてあげる。
たったそれだけのことなのです。
今回の作品は、面白いお芝居をみてワハハと笑ってホロっと感動して、気がついたらそういう小難しかったはずのことのエッセンスが、知らないうちに綺麗に心の中に咲いていることに後から気づく。
そんな体験をお届けするものです。
物語の本来の使命はそういうものだからです。
ステージタイガー 松原公演
「I CONTACT」 #タイガーアイコン2019
3月16日(土)15時開演
松原市文化会館
料金は無料!